2013 宮城県山元町 指圧支援活動

 

2013年も宮城県亘理郡の山元町にて、仮設住宅にお住まいの方を対象に、指圧による支援活動をしてきました。

10月23日、24日の2日間、仮設住宅に隣接した集会場で、一人の方につき約20分ほどの指圧です。
今回もやまもと復興応援センターの活動に参加させていただくようにアレンジしていただきました。

指圧用にお借りしたスペースはこのようになりました。

 

集会場とその周りです。

 

指圧をしている様子。

 

2日目は、津波で流されたり、傷んだりしてしまった写真や学校の文集を復活させる活動をされている方がいらっしゃり、集会場へいらしたみなさんは思い出話に花を咲かせていました。素晴らしい活動です。

その方に、素敵な写真を撮っていただきました。少しは笑顔になるお手伝いができたでしょうか。

 

活動後、町の状況を見に行くことができました。昨年と比べると復興作業は進んでいるようでした。

公営住宅の建設が進んでいました。ただ、この立派な公営住宅に入るのは抽選で、しかも家賃はそこそこするため、収入によって入れる人と入れない人がはっきり分かれてしまうそうです。

 

ご自分で家を建てて、仮設住宅を建てる人もいらっしゃるとのこと。

 

海岸沿いには、津波に備えての防潮堤が建設中でした。かなりの広範囲に高い堤が出来てきています。

 

山元町はイチゴの産地。少しずつですがイチゴのビニールハウスも建ってきてはいます。クリスマスケーキに使うイチゴができるようにと、がんばっているそうです。

 

道にはとにかく、ダンプカーが多かった。

 

海岸沿いの学校です。ここはこの近辺で唯一建物が残ったところ。津波が来た際、この学校の生徒は屋上に逃れて助かったそうです。建物の上の方に青い板があって、白い線が書いてるところまで、津波が来たそうです。その恐ろしい程の高さが分かります。

去年は無かった慰霊碑が今年は建っていました。行った前日、小泉進次郎氏がここを訪れたそうです。
なかなかメディアに登場しない山元町を、震災から2年半以上過ぎたこの時期に訪れていることは、地元の人に元気を与えたそうです。素晴らしい。

 

写真を見てくると復興が進んでいますが、実際、厳しい現実も多くあるそうです。防潮堤近辺の海岸エリアは、3段階の危険地域に指定されたため、住めなくなったり、住むのが難しくなったりしています。

海岸沿いのJR常磐線は壊れたまま、未だに復旧していません。この写真で分かるように、JR線は途切れたままです。
山元町には高校がないそうで、高校生は仙台など近隣の学校に通わなければならないため、不便さを理由に町を出てゆく人が多いそうです。

若い世代の人口流出に歯止めがかからず、(たしか)町全体の4分の1か5分の1程度の人口が引っ越して行ったそうです。

仮設住宅にお住まいの方もだいぶ減ってはきているそうですが、諸事情で出て行く事が出来ない方もまだまだ大勢いらっしゃるそうです。

 

1年経ってだいぶ町の姿は良い方向に向かっているようですが、「復興した」と言える状態までになるにはまだまだ相当の年月がかかることが、容易に想像できました。

東京はオリンピックで浮かれていますが、復興にかける国の予算の削減はホントにしないでほしいです。
できれば、オリンピックをきっかけにこの山元町にも経済的恩恵があることを望みたい。ただ、実際どうでしょうか?

 

今年の活動も、指圧の原点に帰り、東北の状態の一端を垣間見ることができました。年に1回の活動で実際何ができているか、と考えると無力感ばかりを感じますが、それでも何もしないよりは良いと思い、今後もまたこういった機会を作りたい、と心に決めて、帰京しました。

 

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